情報処理の授業で同級生SがBASICで円や線を描画して得意げに動かしたのを今も鮮明に覚えています。
S宅にはPC9801やFMTownsがあり、PCゲームやりたさに毎週行くほど羨ましく思っていました。
Loginなんかが全盛期でした。同級生が同級生やってましたし。
もう時効ですよね(笑)
そんなある日、突然母親が勉強のためにPCが欲しいか?
(「※力が欲しいか※」)と尋ねます。
どうやら知人の家で使わなくなったPCを譲ってもらうようです。
もちろん何も考えずに「欲しい!欲しい!」とねだったところ…
届いたのはなんとEPSON PC-386のラップトップモデル!
モノクロ液晶!印刷機能付き!・・・しかも添付ソフト皆無。
おそらく対価を数万円支払ったであろうと見てとれましたが後の祭り。
一応ゲームは動いたのでしばらく残像に苦心して
(kindleを想像してください。特にシューティングは弾が見えない)
遊んだ思い出がありますが、PSやサターンが登場し、ここで一旦PCから離れました。
そして月日は流れ、2003年頃でしょうか?
当時の私は就職と同時に始めた寮生活に別れを告げ、辺境の地へ転勤し、初めての一人暮らしを始めました。
一人暮らしに辟易していた私に、知人がPCを譲ってくれると聞いて、これもまた(懲りずに)二つ返事でお願いしました。
今思えばこれも運命でしょう。
やってきたのはEPSONのBTOモデル。
PEN4北森2.0A、メモリはRIMM、マザーボド上にPOSTコード表示LEDと固い構成で。
到着と同時にホームセンターの前でモデム配っている人から紙袋を受け取るミッションをこなし
(YahooがADSLモデムを配りまくってトラブルになる時代でした。)
ようやく初のインターネット環境が自宅に来ます。
当時はオンラインゲーム黎明期。
すぐにやりたくなったのですが、残念ながらもらった構成は3Dゲームにはグラフィック性能が不足。
どうにかならないか調べてみると、パーツを増設すればいいというではありませんか。
どういう検索経緯かたどり着いたのは2chの自作板。この頃から本格的にROMることになります。
その後2年間、そこそこ課金するほどMMOにハマり、有給を使い果たすなど悲惨で素晴らしい日々を過ごしますが、その話はまた別の機会に。
この「パーツ交換経験」から自作PCに興味が湧き、転勤(ネトゲ依存からの脱却)と同時に1台組むことになります。
以降は、それほどハード自体にのめり込むこともなく、生活環境に合わせて構成を変える(ゲーム→レコーダ→編集など)程度しか触れていません。
ですが、PCの内部構造を理解するのには、とても役に立ちました。後の情報処理技術者試験へ繋がっています。
こうして振り返ってみると、ゲームへの興味が、PC自体への興味、インターネットへの興味と変遷し、時代とともにICTそのものへの興味に昇華していったように思います。
きっかけって大事ですが、どんな素養があるかは分かりませんもんね。